万博を開催しましょう

「万博を開催しましょう!」と言う池口氏に、角栄さんが、「何だ、そのワンパクちゅーのは?」と、問うたのは、あまりにも有名な笑い話だ。池口氏は、東大時代に講義を聴かれてから、ずっと生田先生のファンだったそうだ。それで、自分が心血を注いで企画し、開催にこぎつけた万博の、企業共同出展館の設計者に、生田先生を推したわけである。そんなこんなで、生田先生の弟子として、私は池口氏からも親しくおつきあいいただけるようになった。共同出展館のテーマは、「生活産業館」に決まった。実直な生田先生にぴったりのテーマである。私が先生から依頼きれたのは、主に「生活産業館」内部のディスプレイ・デザインだった。「生活産業館」の打ち合わせで、万博会場に出入りするようになると、浜口先生ともよくお目にかかった。浜口先生は「日本政府館」のプロデューサーをなさっていたのである。つまりは、池口氏と懇意ということである。そしてまた、非常に偶然なのだが、浜口先生と生田先生も東大で呪懇の間だった。そんなこともあってか浜口先生は結局、「生活産業館」のプロデューサーも兼務される柄だった。父こととなった。万博開催に向けて、どこも人手が足りない。二人の問でどんな取り交わしがあったのか知らないが、私が浜口先生の補佐として、お手伝いをすることになったのを、生田先生は快く了解してくれ生田先生、浜口先生、池口氏、この三つどもえの奇縁は、万博以降も、何かと私を公私共にバックアップしてくれることになったのである。