お祭りの中のカネと人

■お祭りの中のカネと人。万博のシンボル、岡本太郎氏がデザインした「太陽の塔」を囲むスペースは、「お祭り広場」と名づけられた。その名の通り、万博は巨大なお祭りだったといえる。当時の大卒初任給が、たしか二万円だったと思うが、大手企業がパビリオン建設に投じた費用は、五○億円、六○億円がザラである。普段は聞いたこともないようなカネが現実に動くのだ。それだけにやりがいもあったし、夢を実現させようと躍起になる者もいた。私も、二十代半ばをようやく過ぎようという頃に、ビックリするような金額を目にした。普段、私が設計する住宅の総建築費が、四○○万円とか、五○○万円とかいう時代である。設計監理費は総工費の一○~一五パーセントが相場だから、一軒あたり、四○万~七五万円というのが、当時の私の取り分である。一軒の家を建てるのに、建築家がどれだけの時間を費やすことか。十数回におよぶ打ち合わせ、何度もやり直す設計図。一人の人間が一年間にできる住宅設計は、そう何軒もない。しかも出来上がった家を、全面的に気に入ってもらえれば、その疲れも吹っ飛ぶが、やはり、一生に一度の買い物。あそこはもっとこうしたほうがよかった、ここがちょっと気に入らない、などと言われるのは日常茶飯事。次から次へと、いくらでも要望が出てくるのが常である。まったく住宅建築は割りが悪い。が、それでも住宅建築が好きで、好きで、どうしてもやめられないのが私の性分。万博準備期間中、カネのことでは、いいことばかりだったとはいえない。巨大なカネとたくさんの人が絡んで、胃が痛くなるようなことも山ほどあったのである。たとえば、「生活産業館」でのブース・スペース決定会議。二三社が一堂に会して話し合うわけである。生田先生や浜口先生が資料を渡して、スライドを見せて、最初はまったく静かなのである。「それでは、第一回目の会議はこれで終わりにします」。