ものづくりの前に、顔づくり
自分に突き返してくるということは、もうどこかと話がまとまっているんだろうと、疑心暗鬼になっているのだ。こちらだって、ショックと心痛で、もう三日も食事がのどを通らない。夜も眠れないから、いまウトウトしているっていうのに、何いってるんだと、言い返したいのだがその元気もない。修羅場が、一週間も続いたろうか。その日も、会議室は、激しい怒号に包まれている。私は、大か声を出しすぎて、ガラガラに項れた声で「もう、帰る!」と言ってやった。しかし、そんなことにはお構いなく「うちが先だ」の「真ん中だ」のと言っている。「勝手にしろ」。私は、手元に積まれた山のような資料を、パンツと目の前にたたきつけてから、バサーッと手で押し崩して席を立つた。そして、そのままホテルに帰り、荷物をまとめて、大阪をあとにしたのである。自分としては百戦錬磨の兵と思っていたのだが、やはり二十五歳の若僧だった。精神的に、そうとう追いつめられていたと思う。新幹線のなかで辞表を書いて、帰途にあったポストから、事務局宛に投函した。さすがに疲れた……。■ものづくりの前に、顔づくり。その頃私は、千駄ヶ谷から小石川そして本郷へと転々と事務所兼居宅を移していた。まさに繁栄の道程(?)である。東京のアパートに戻ると、当時私の部屋に居候していた妹が、「お兄ちゃん、万博の事務局からうるさく電話がかかってきているわょ。